日本のファッション EC 業界の歴史を、当事者たちの証言で記録していく『 あんときの EC 年代記 』。今回は編集部の野田が実際に体験した 2000 年代初頭から後半にかけてのマルキューブランドの EC 黎明期にフォーカス。「 ECをやる 」が「 楽天への出店 」と同義だった時代から、自社 EC への移行、そして EC 支援の変遷までを振り返ります。
語ってくれたのは、同じく《 あんとき 》のマルキューブランドで EC を運営していた川添さん、そして EC 支援会社としてブランド側を支えていた渡辺さんをお招きして、これまで表に出てこなかった《 あんとき 》の苦労や工夫、そして今も色褪せない知恵を、たっぷりと語ってもらいました!
座談会の背景と3人のバックボーンを簡単に…
川添さんは LIP SERVICE ( リップサービス ) というブランドを手がける株式会社クレッジ、野田は DURAS ( デュラス ) というブランドを手がけていた株式会社デュラス、そして渡辺さんはこの2ブランドをはじめ、多くのマルキューブランドの EC 支援していたブランデックス株式会社に在籍していました
「 ECをやる 」が「 楽天に出店 」だった《 あんとき 》に広まった “ 全部お任せ ” モデル


いや、全然あって、もうスタートもしていたのよね。ただそれが自社ドメインの EC という概念はなく、マルキューブランドがインターネットで洋服を売ろうとすると、いくつかのファッション系の EC モールに取り扱いブランドとして出店するか、自社で楽天という感じだったのよね。ボクが DURAS に入ったのは 2005 年くらいだと思うんだけど、その時はそんな感じ

僕がクレッジに入社したのは 2010 年の初め頃。そのタイミングでも、やはり周りのマルキューブランドは楽天に出店していた印象です。当時の会社は PE ファンドに買収されていたこともあって、ファンド側から自社 EC の重要性を説かれていたっぽいのですが、それでも社内にはあまり浸透していませんでした

ZOZOTOWN も、まだ今みたいな立ち位置じゃないですよね?

EPROZE から ZOZOTOWN になったのが 2004 年ですからね。しかも、当時の ZOZOTOWN はどちらかというとストリート系のブランドが出店するプラットフォームで、マルキュー系ブランドが出店する場所じゃなかったですよね

なるほど。ブランドのテイストによって住み分けもあったんですね

『 CanCam 』や『 JJ 』などの赤文字系に露出するブランドは、マガシークやスタイライフに出店していて、今話にあがったストリート系のブランドやユナイテッドアローズさんなどのセレクトショップは、ZOZOTOWN に出店していました。すると、残ったマルキューブランドは、もう楽天から横並びのマルキューブランドが出店しているモール EC に行くしかなかった。というか、モールに任せず EC で売るには、楽天に行かざるを得なかった、って感じなんですかね

しかも EC で何を売っていたかというと、店頭で売れ残ってしまった “余り物”。最初はホントに「 余ってる在庫を売っとけ 」っていう立ち位置からのスタートでしたよね

EC がひとつの販売チャネルとして認識されていたのではなく、在庫処理の延長だったのですか?

完全にそう。なんとなくネットでも服を売らなければいけない時代になってきたので、他のブランドに出遅れないよう、とりあえず売っておこうくらいの立ち位置だったかな


はい。むしろ、店舗や卸の部署からすると「 ネットで売るなよ 」っていう圧の方が強かったくらいで



それでもマルキューブランドで楽天への出店が広まった背景には、何があったんですか?

アクレさんという、楽天の出店・運営をサポートする会社の存在が大きかったと思う。ここが楽天で商品を売る際の業務を一手に引き受けてくれて


商品の撮影から原稿、採寸、それら商品マスタの登録や注文の発送、問い合わせ対応、メルマガの運用まで、本当に全部やってくれていたのよね



ECを始めたというより「 任せた 」に近い感覚ですよね


2002 年に会社設立のようだけど、少なくてもボクが DURAS に入った 2000年代半ばにはもうその形でスタートしていたので



完全にセット。「 楽天=アクレさんにお願い 」みたいな


いや、楽天時代は「 ECを伸ばそう 」みたいな話には会社として全然なっていなかったのよ


作れば、なんでも売れる時代だったので圧倒的に店舗優先。正直、マーケティングなどの施策を考えるというより、日々回すことで精一杯みたいな。自社 EC の運営を全部任せていたといいつつ、満足に EC 担当もいないし、いても兼任など、そんな時代だったので


うん。売上アップの施策としては、在庫さえ集めれば売れるので、いかに EC 向けの在庫を確保できるかの一点。そのために、いかに社内を説得できるかだった

マルキューブランドの全盛期と当時のショップスタッフが担っていた役割


マルキュー業界に入る前は、ストリートブランド業界にいたんだけど、そこで裏原ブランドの衰退といった時代の変わり目に直面し「 こういうときにマーケティングって必要なんだ 」と気づいて、感覚に頼りきったビジネスモデルにある種の限界を悟るわけですよ。だからマーケティングをちゃんと勉強しようと思って、より売上規模の大きいレディースブランドの世界に来てみたんだけど、そしたらもっと感覚と勢いだったという( 笑 )

僕は 97 年 〜 99 年頃にはマルキューの R&E という靴屋で働いていたんですが、その時代の凄まじさは本当にリアルで覚えています。CECIL McBEE ( セシルマクビー ) と EGOIST ( エゴイスト ) が全盛だった頃で、とにかくすごかったです


おっしゃるとおり、マルキュー系のブランドは一度人気が落ち着いた時期があって、僕もその頃には業界から離れていたんです。でも、戻ってきたら、MOUSSY ( マウジー ) や LIZ LISA ( リズリサ ) あたりのブランドが伸び始めていて、マルキュー自体がまた盛り上がっていた。2度目のブレイクみたいな感じでしたね


全盛期をカリスマスタッフとして過ごしていた方々が、今度はプロデュサーとして、次々とブランドが生まれてきたことが大きいと思う


僕がいたリップサービスも、そういう流れの中にあるブランドでした。もう僕が入社した時には初代のプロデューサーは離れていて、2代目みたいな体制でしたけど


絶対的存在。社長よりも偉い ( 笑 ) 。プロデューサーが「 こうする 」と言ったら、もう全員がそっちを向く


プロダクトアウトしていれば時代とあっていたわけで、お客さんを意識する必要がそもそもなかったし、そのスピード感が圧倒的な強みだったのよね

自分たちでビジネスをコントロールしているというより、時代の波に乗っていたという感じに近いですよね

はい。その波に乗っかるために必要なのが 109 や OPA といった、各地域を代表する館。店頭こそがブランドの生命線で、EC はあくまでもその後ろにあるもの、っていう立ち位置でしたよね


今だと自分が好きなファッションの情報を手に入れようと思ったら、その界隈のインフルエンサーをフォローして、その人たちから情報を入手しますよね。でも当時はそういうものがないので、その役割を担っていたのがショップスタッフだったと捉えています。もちろん、僕がいた当時は雑誌の影響力がありましたが、リアルなライフスタイルやファッションなどはショップスタッフが担っていたんじゃないかなと


まさにそう。しかもリップサービスのような万人受けするというよりも個性の強い方のブランドは、そのブランドの魅力や愛着を共有できる人が当人の周りに少ないはずなんですよね。たとえば、10人友達がいたらマウジーだったら6、7人が「 いいよね 」と賛同してくれるかもしれないですけど、リップサービスみたいな尖ったブランドだと、リアルの友だちの中でその話ができたり共感できる人はほとんどいないと捉えてました。
やっぱり、価値観を共有できる人って話も盛り上がるじゃないですか。それにはお店に行くしかないし、お店のスタッフとのつながりが今以上に強かったですね。今でも一部は残っている風習ですが、当時はお客さんとスタッフがメアド交換して連絡したり、ブログに出勤日を掲載してましたね

マルキューブランドの EC 支援 “勢力図” の変化

話を聞いていると、当時は EC の “冬の時代”というか黎明期だったと思うのですが、その中でも、先ほどの話題にあがったアクレさんから当時渡辺さんが在籍していたブランデックスさんへと、EC 支援を受け持つ企業が変わるという変化があったんですよね。そのあたりを少し詳しく聞かせてください

2つあると思っていて、楽天で数年運営してきたので、そろそろ自社ドメインでスタートさせたいというのが1点。もう1点は営業のキーマンがブランデックスさんに転職したことなんじゃないかな。業界内の社長や事業部長、プロデューサーといったキーマンと親しくて、そういうトップダウン営業も、我々のリプレイス要因にはなっていたね

当時の業界って、オーナー会社が多いので、ロジックで売るというより、まずは気に入ってもらわないと何も始まらない、っていう感じでしたよね

渡辺さんはその頃にはブランデックスさんに入社されていたんですか?

僕が入社したのは 2009 年です。その前はデザイン会社に在籍していたんですが、これまでのキャリアを活かしてステップアップしようと考えたときに、ファッション EC の制作・デザインをやれる会社がいいなと思って。それで縁あって入ることになりました

当時はどんな状況だったのですか?

僕が入社したときには、すでにリズリサの自社 EC が立ち上がっていて、1日 100 万円以上売れているという状況でした。会社としては、これを成功モデルに他のブランドに広げていこうというタイミングでした

野田さんがいたデュラスや川添さんがいたリップサービスもブランデックスさんで自社 EC を始めていたんですか?

デュラスがちょうどスタートしたばかりで、リップサービスもすぐに始まるという頃でしたね

社内の体制はどうだったのですか?

ブランドの担当者の方とお互い手探りで、ゼロから一緒に作っていくような感じでしたね

ちなみに、当時のブランド側と EC 支援会社の関係性はどんな感じだったのですか?

正直に言うと、下請け感はあったと思います。ブランドさんから無理難題を言われることも多かったし、でも「 できません 」とも言いづらい。収益モデルはレベニューシェアで、売り上げの一部が入る形。だからお互い頑張ればいいよね、という建付けではあったのですが

我々もレベニューシェアだから、これを実現すれば売上がアップするはずなので、気づかないフリして無邪気にやってほしいと、どんどん依頼するという ( 笑 )

支援側からすると、機能を1個実装するのに 100万、200万 とかかる世界なのに、レベニューシェアで入ってくるお金でそれをまかなうのは、正直しんどい。お互い「 頑張れば儲かる 」という建付けだったはずが、支援側だけが徐々に疲弊していく、みたいな構図になっていくという(笑)

ブランド側としては「 お金払ってるし 」という感覚、でも支援側は「 いや、その取り分では割が合わない 」という綱引きが、ずっと続いていましたよね

しかも、困った時だけ「 何か提案してください 」って言ってくる。面倒くさくて、すいませんでした(笑)
お店でできることは EC でも。この時代に生まれた、今だと当たり前の機能や施策、考え方とは?

ブランデックスさんがマルキュー EC 界隈で存在感を発揮していく頃には、楽天だけでなく、ようやく自社 EC を始める機運が高まってくるんですよね。そのあたりの経緯は?

ひと言で言うなら「 世界観 」に尽きると思う。当時はフラッシュという技術を使って、5秒くらいのアニメーションが流れてからやっとメニューが出てくるみたいに、楽天の中で自由にいじれるページをトップページにして、なるべく楽天に見えないような涙ぐましい努力をみんなしていたんだよね。
でも一覧ページや商品詳細ページに入るとどうしても楽天の見た目になるので「 なんとかならないの? 」と《 あんとき 》の EC 担当者はみんなプロデューサーに言われたと思う (笑)

そこは、さすがにいじれないだろうから、なんともならないですよね (笑)

そんなこんなで「 自社でちゃんとしたサイトをつくった方がいいんじゃない 」という流れになっていった。だから我々のケースでは見た目の問題が大きかった

独自ドメインに移行後の 《 あんとき 》の DURAS 公式通販サイト

ちなみに当時の EC 担当者って、こうした自社 EC への移行が進む中で、どんな施策を講じていたんですか? 「 実際に効いたな 」という施策にはどんなものがありましたか?

時代が楽天のときに戻ってしまうんだけど、一番最初に効いたなと感じたのは EC の梱包の中にショッパーをつけること。ショッパーって、お店で買ったときに商品を入れる手提げ袋のことなんだけど、楽天時代にアクレさんから「 公式通販だからショッパーをつけてください 」とアドバイスされて。最初は「 そんなの入れても意味ないでしょ 」と思っていたんだけど、一回やめたらレビューでお客様からものすごく厳しい意見をいただくことになり

お客さんにとっては、それほど大事なものだったんですね

「 お店の体験を EC でも再現する」という考え方はかなり重要で、今でも必要な考え方だよね

僕は、具体的な施策とは少し離れてしまうのですが「 速度 」という考え方を重要視していました。これは僕が EC の担当者になって、メルマガなどの施策に注力しているうちに気づいたのですが、実は商品の売上は、店頭に新商品が並んだ瞬間が最も伸びるんです。だから、EC の販売タイミングもそこに合わせるのが最善のやり方なのですが、当時は店頭に商品が出てから1〜2週間後にやっと EC に掲載されるのが当たり前でした。
そのため、EC の掲載を店頭に合わせるにはどうすればいいかは苦心しました。プレスルームの一部を撮影ブースにしてもらって、サンプルで撮影して社内で画像加工からはじめて、その後は店頭に入荷の1週くらい前に生産管理が確保する納前( 納品前の品質チェックのための商品 )を全商品手配してもらったり。これができた頃は、会社の経営改革が始まって体制が変わっていたので、色んな部門に協力してもらいました

ちなみに、メルマガにも注力されていたということですが、メルマガではどんなことを重要視されていましたか?

2010 年のケータイってガラケーなんですよね。そしてマルキューブランドは 80〜90 %がガラケー経由でのアクセス・購入でした。メルマガもガラケーがメインで、EC の方では件名を研ぎ澄ましたり、絵文字使ったり、販促はキャンペーン・セールとかやって購入につながるように磨くことはもちろんやってました。ですが、同時に僕が目を向けていたのは、店舗側で発行していたメルマガでした。
なんでかというと、当時は店舗のメルマガと EC のメルマガは、システムとしても部署としても別に管理されていたのですが、店舗側の方が配信リストが多いわけです。実店舗からスタートしているブランドの EC のお客さんは、当たり前だけど、実店舗で認知・購入した人たち。大元である店舗のメルマガの方が影響力あるのは容易に想像つきますよね。ただ、店舗が発行するメルマガでは、社内競合しないように EC のリンクは貼れないルールになっていたのです。影響力が使える武器があるのに使えない

たしかにそれはもったいないですね

そこで、EC だけでなく、戦略的に店舗のメルマガの “作成” の担当を買って出ました。掲載情報はリップサービスの販促担当が作ってくれるのですが、それをメルマガ原稿に仕上げてガラケー用に反映したり、掲載画像の撮影・画像加工して配信までやりました。販促担当の仕事を少し減らしてあげて、納得の仕上がりになるよう頑張っているうちに、販促担当と良い関係になっていきました。そうすると、何かのタイミングで EC の販促情報などは掲載の許可をもらうことはできたりするようになっていきました

EC の売り上げのためには露出が必要だから、EC 以外の担当者との関係を丁寧につくっていたということですね

そうです。店舗側のメルマガに関しては、配信設定以外は本来なら僕のいた部門でやる必要のない仕事になっていました。でも、そうやって協力体制を作っておけば、こちらが「 EC の販促情報を店舗のメルマガにも載せてもらえませんか 」とお願いしたときに OK もらいやすくなる

CRM がほぼメルマガしかない時代だったからこそ、そのメルマガをどう活かすかというのが重要だったんですね。それでいくと、非会員にも CRM できちゃうという画期的なツールを運営している野田さんは、当時どんな CRM をしていたのですか?

ボクはたくさん買ってくれるお客様を徹底的に優遇するという施策だったね。顧客データを分析してみると、パレートの法則じゃないけど、上位 30 %のお客様が年間売上の 75% をつくっている。これって、ほぼどこもそんな割合に落ち着くんだけど、だったら、その 30% の方々に販促費を集中的に投資するのがフェアなんじゃないかって

具体的にはどんな施策をやっていたんですか?

特に上位 10 %のお客様だね。この方々だけで年間売上の半分くらいを占めるので、誕生日に花やスタッフからの手紙を送ったり。あとはいくら以上でプレゼントみたいなノベルティ施策を店舗ではやっていたけど、さして効果が出ないのはデータで分かっていたので、そういう配り方はしないで、誕生月に購入してくれた上位顧客の方に「 プレゼント 」ということで同梱したり。
その際に大事なのは「 告知しない 」ってことなんだよね。表で告知するとモノ勝負になり有り難みがなくなってしまうんだけど、渡し方をサプライズにするだけでモノ勝負にはならず心意気を感じていただけるので満足度が段違い。CS に感謝のメールが届くなんてあんまりないんだけど、そういうことが起こるし、実際これで上位の方の離反は他と比べても相当少なかったと思う

先ほど、当時はまだ「 お客さんを目を向ける 」という視点が薄かったという話がありましたが、これは数少ないそうした施策のひとつですね

独自ドメインで自社 EC を始めるころには「 モールではなく、自社 EC で買っていただく理由が必要 」と思っていたので、そこくらいからは徹底的に見るように変わっていたかな。裏原宿の経験からもプロダクトアウトだけではいつか限界がくることは感じていたので、独自ドメインの自社 EC に移行した後は、細かく見れる部分も増えたし「 お客様を見る 」という取り組みはスタートしてたね

ちなみに当時の EC のお客さんって、どんな方が多かったんですか?

メインの顧客層は店舗と同じですが、少し年齢層が上のお客さんの割合が高かったですかね。もうマルキューに行くのはちょっと…お店に行く時間がないから…という年代の人が EC で買っていました

あとガラケーで鍛えられたのか、買い物のリテラシーが高かったと思う。サイズ情報が少なかったり、掲載写真の数枚が少なかったり、鮮明じゃなくても、それが本当に自分に必要かどうかをちゃんと見分けて買ってくれていたと思う。もちろん店頭で実物を確認してからという人も多かったと思うし、サイズ展開が「 フリー 」というマジックもあったけど ( 笑 )

そうですよね。当時のお客さんはかなり鍛えられていたと思います。「 このブランドのこのサイズはこれくらい 」という体験的な知識が積み上がっていて、EC 側の情報が少なくても買えていた。うっかりミスですが、画像なくても売れたことあったんで

先ほど「 お店でできることは EC でも 」という考え方が重要だったという話がありましたが、この時代に生まれたこうした考え方や機能で、今も当たり前のように使われているものってどんなものがありますか?

csv の取り込みじゃない ( 笑 ) 。ボクが入社した頃は、EC で売れた数を管理システムに手打ちしていた。毎日「 品番〇〇、3 枚売れた 」みたいな感じでポチポチと。でも、売上が増えてきたら、それだけで何時間もかかる。そんなの csv で取り込めば一発でしょ、と


予約販売もこの時代の発明だと思う。《 あんとき 》のマルキューブランドって、今で言うファストファッションだったので、生産のリードタイムが短かった。1週間とか2週間とかで追加できる韓国ルートがあり、中国生産でも1ヶ月くらいなので、先に EC で予約を受け付けて反応を見てから追加の生産量を決めるという動き方ができた

今だと当たり前の予約販売も、この時代に生まれたのですね

しかもこの予約販売は店頭では売っていないから、店頭と競合しない。これが社内の説得に使えた。「 EC しかできないこと、かつ、店舗にとってもお役立ちデータを提供できますよ 」という理屈が立てられた

僕の場合、経営改革前は「 自社ECはダメ 」と言われてました。もしくは、外部のモールEC の後ならOKとか(笑)。でも、のちの経営改革後に EC 責任者になってから、予約販売は、ファッションウォーカーやモバコレといった外部のモール E Cで露出を確保するための交渉材料にしました。自社 EC を優先が大前提で、モール EC での先行予約のスケジュールをずらした実施順番と引き換えに、トップページなどの露出枠やメルマガ掲載を確保してください、といった具合に。在庫リスクを減らしながら、サイト内での露出も確保できる。これは EC 担当者として大きな武器になりました

露出といえば、この時代はショップスタッフのブログ活用も大きな武器になっていたイメージです

そうですね。2010 年の時点でも当時のブランドのショップスタッフは、自主的に個人ブログを書いている子が多かったんです。当時のガラケーブログとしてメジャーだったサービスは、ブログを開くと PV が公開されていたので、試しにどれくらい見られているんだろうと1〜2週間エクセルに記録したら、概算ですがトップの子は月間 200〜300万 PVくらいで、30万 PV 以上あるスタッフも 10 数人いました

えっ、それはすごい!

ですよね!でも 2010 年の後半くらいにその話をしてもブランド側は無関心でした。今だったら PV 持っているスタッフを優遇する会社が増えてきているけど、当時はそういうスタッフが他の店頭スタッフと同じように捉えられ、フツーに辞めていってました。
なので、経営改革後に EC 責任者になった後は「 これを使わない手はない! 」ということで活用を模索しました。ただ、そこでひとつ制約になってしまうのが、ブログサービスによっては記事内に EC リンクを貼ると、広告扱いになってしまうということ。でも、実はここにも交渉の余地があったりするんです。
当時のマルキュー系ブランド顧客層の人たちが見ていたブログはデコログとクルーズブログの2強。どちらのブログが OK だったかは忘れましたが、いずれにしろ「 自由に自社の商品を宣伝していいよ 」というサービスではなかった。
僕は担当者時代に、デコログの方々と何度か話を重ねた企画をブランドに提案するも、それも無関心。しかし EC 責任者になった後に、再度デコログの方々と再度話を重ねて新たな企画を実施にこぎつけました。そして、一部特例的な対応も了承してもらったんです。。実施した企画は2つあって、その1つがリップサービスのショップスタッフによるガチのブログランキングをでした

個人のブログという、当時としては革新的なメディアも交渉次第で動かせたわけですね

僕が動かしたわけではなく、当時のブランドはまだブランド力があったことや、スタッフの熱量がブログに反映されてファンと PV がついていたからだと思います。そこにレバレッジをかけて交渉にのぞむことができた感じかなと。今振り返るとですが、ブランドの立ち位置と需給バランスをある程度理解した上で、交渉相手とは「 ここがお互いのメリットになるよね 」を擦り合わせたのがうまくいったと思ってます


だからこそ、担当者の力量次第で売上を伸ばせたのが、黎明期の良さだったともいえますよね

ほんとにそう思います。この時代に担当者のスキルは相当磨かれました。ブランドのポテンシャルを理解して社内にも社外にも交渉もするし、実務面でも社内調整もするし、お客さんを見る目も鍛えられましたよね
支援側の渡辺さんから見た、それぞれの運営スタイル

マルキューブランドの EC を支援する側にいた渡辺さんは、ブランド側にいた野田さんや川添さんと一緒に仕事をしてきたわけですよね。支援側から見て、二人はどんな担当者でしたか?

そんなん、めちゃくちゃ面倒なヤツでしょ ( 笑 )


機能の要望が多かったということですか?


「 他でも使えますよね 」ってよく言ってましたね(笑)


え、そうだったんですか(笑)


川添さんはどうしてそういう意識でいらっしゃったのですか?

2011年秋に社長が変わって、経営改革が始まり、僕が EC 責任者に抜擢されるのとバーターで「 売り上げを2倍にしろ 」という指令が出たんですよ

いきなり2倍ですか !?

そうです。そのかわり、成功するまで矢を打ちまくっていいよと。担当者のときにはブランドに色んな角度で提案してもダメだったので、目標の重責よりもラッキーとしか思えなかった。そうなったら、やれることは何でもやらなきゃいけないですよね。とにかく手数を増やさないといけないと思ったし、施策をスピーディーに実行するためにはブランデックスさんの社内で仕事をした方が早いと思って、常駐させてほしいと交渉したくらいですから


ブランデックスさんの社内には撮影スタジオもあるし、システム担当もいる。そこに自分がいれば、やり取りのタイムラグが全部なくなる。「 この商品、今日撮影できますか 」「 じゃあ午後に撮りましょう 」みたいなことが、その場でできる。店舗側のメルマガをやっていた時に衝撃だったことの1つは、メルマガが来ないとクレームが来る。それくらい待ってくれているお客さんがいるなら、とにかく遅れを出したくなかったんですよね


この時代を経て EC の支援会社はどう変わっていくのですか?


ブランド側にも知識がついてきて「 ここは自分たちでできるから、大変なところを外注しようか 」といった具合に依頼のコツもわかるようになってきましたよね


なるほど。ブランド側のリテラシーの向上と共に役割が変化していくのですね

“気持ち悪さ” の大切さと “ブランド力がすべて” という残酷な真実

ここまで話を聞いてきて、当時の EC 担当者の方々がいかに社内を動かし、交渉し、施策を積み重ねてきたかがよくわかりました。ちなみに EC の担当者として、一番しんどかったのはどんなときでしたか?

ブランドが良くなるような提案を何度やっても「 店舗のお客さんが EC に取られる 」とか、デジタル上のお客さんの行動に一切無関心という壁が揺るがなかったことですかね。データを見れば 、数十万 PV を持つ店舗スタッフは戦略的に協力してもらった方がよいし、EC に在庫を入れれば、その分売上が上がるのは明らかなのに「 そっかー、でもダメ 」という状況が続くのは大変でしたね。「 なんでわかんないんだろう 」ってことばっかり考えてました

たしかに、理屈じゃない部分は多々ありましたよね。一方で、その壁を少しずつ崩していく過程が大変でもあり、面白くもありました。頭ごなしに「 ダメ 」と言われた壁が、半年後、1年後にいつの間にかなくなって、売上という成果になっている。その変化を実感できたときが EC 担当としての醍醐味なわけで

支援会社の立場からすると、そういう交渉をちゃんとできる担当者かどうかで、支援のやり甲斐が全然違いました。先ほどの話に少し戻っちゃいますが、川添さんみたいにスピードと手数にこだわる人、野田さんみたいに機能面での要望が細かい人、そんな担当者のカラーによって各ブランド EC の性格が決まっていたという感じがします

当時の EC 担当者と今の EC 担当者で、やりがいの違いはどんなところにあると思いますか?

どうなんだろう。《 あんとき 》は黎明期でなんでも「 やったもん勝ち 」みたいなボーナスタイムだったわけで「 やるべきことをやれば売上が伸びる 」という手ごたえがあったけど、今は権限も役割もかなり整理されており、EC 担当者が思いつきで一気に全体を動かす余地が少ないという別の苦労はあるんじゃないかな

《 あんとき 》の EC は、まさにフロンティアだったんだなと。会社員だから目標達成にむけて仕事するのは大事だけど、同じ仕事するなら “おもしろい” 方がいいじゃないですか。だから、野田さんと渡辺さんと「《 あんとき 》っておもしろかったね 」って振り返れる

その中でも今の EC 担当者の方は「 どう AI と向き合う 」みたいな、また別のゲームチェンジの “おもしろさ” はあるのでしょうね

今の EC 担当者の方々が、がんじがらめの環境がある一方で、新しいフロンティアも見えてきた中で、どこに活路を見出しているのか知りたいという気持ちがあります。EC 担当者が一人で動かせる範囲がどんどん狭くなっていくと、結局は “ブランド力” の勝負になってしまうから

たしかにぃ (笑) 。EC 担当者が努力で上乗せできる部分は確かにあります。でも結局、ブランド力の差は、そう簡単には埋めることはできないという現実もまた事実

《 あんとき 》も、どんなに頑張ってもリズリサやエゴイスト、マウジーには敵わなかった。当時は、今の基準をはるかに超えたクソみたいな EC サイトなのに売れているブランドはあった。今も昔も結局は、ブランド力がすべてという話になってしまう( 笑 )

ワタクシも手を替え品を替え、散々やってきましたがグループ会社のエゴイストには全然、勝てませんでした( 涙 )

最後に、EC の黎明期から活躍してきた皆さんが、今につながる教訓としてアドバイスできることはありますか?

“気持ち悪さ” を持てるかって結構大事だと思うんですよね。たとえば「 本当はやった方が良い 」と見えているのに「 それは他部署の仕事だから 」と言って、見て見ぬふりができる人がいる一方で、「 いや、なんとかして、やってもらわないと 」と気持ち悪さを感じて動くみたいな

色んな企業の EC 担当者と話す機会は多いですが、いまだに「 店頭より遅れて EC に掲載している 」とか「予算按分でしか EC 向け在庫は確保できていない 」とか「デジタルは強化しなきゃと建前で言ってるけど、ブランドは EC に無関心」みたいな、《 あんとき 》から変わっていない “構造” が結構あります。EC の部門が越境すべきは、海外よりもまずは社内だと思っています

うまい( 笑 )。よくよく考えてみると、ボクらがやっていたのって「 ダメ 」と言われたら、まず範囲を限定して交渉する。「 この期間だけ 」「 このブランドだけ 」「 このメルマガだけ 」という形で小さく始めて、成果が出たら実績として持っていく。それを繰り返すうちに、だんだん社内で自由が利くようになってくる。この繰り返しだったような気がします

それを「 社内政治 」と言ってしまうと聞こえが悪いですが、要は相手が「 うん 」と言いやすい粒度で、提案を具体的にしていくことだと思います。だから、野田さんが言うように、範囲を限定した方がよい。それは EC に限らず、どんな仕事でも同じだと思います

ECの黎明期を体験した方々のリアルな話、非常に刺激的でした。本日はありがとうございました!
今回の取材に協力してくれた人

GIVE&GROW 代表 / エバン CEO / ZOE BAR 店主 / EC 業界の顔役

ファンタスティックラボ 代表 / デザイン制作会社・ハウススタジオ運営

FANATIC 代表 / 《 あんとき 》の EC 年代記 編集部長 / LINE の認定講師
日本語
English
韓国
中国(简体)
中國(繁體)
